人生の整理として自分史を書き残して置こうかとも思ったが、無機質な年表的なものでは家族もろくに読んではくれないと思い、エッセイ風に決めた。中味は海外だけに絞った紀行とした。
海外と言っても取り敢えず幾つかの国だけを選んだが、ドバイ、イラン、オマーン、ザンビア、ジンバブエ、南ア、豪州、インド、カナダ、フィンランド、等々まだまだ書いてみたいという国は有る。でも切りが無い。
書きたくない事や思い出したくない事は書かなかったが、採り上げたものは素直に書いた積もりだ。私の出張は殆どが海外プラントの営業時代のものである。仕事は一生懸命に頑張ったと思うが、受注採算の良かった案件も有るし、無念にもそうではない案件もあった。
また海外プラントビジネスをやっていると何か変人のように思いが倒錯しそうになることがあった。というのは、商談案件を受注すると、ウッカリすると無意識に日本の景気が悪くなることを喜び、良くなることを悲しみかねなかった。
と、言うのは景気が悪くなれば、買手市場となってプラントの構成機器、資材などが面白いように安く買えたからだ。反対に景気が良くなれば売手市場となり事前に見積もりを取っていても、見積もり期限が来ると値上されたり、途中で我が方の都合で設計変更などが生ずると其の機に可也りの価格アップを言って来るからだ。
でも、矢張りプラントビジネスは面白かった。このビジネスは農耕民族文化ではなく狩猟民族文化と言われていたが、確かにそう言った面があった。居を構え田畑を耕すのではなく、注文という獲物を競合者にも注意しつつ出来るだけ組織的にそして緻密に追って行くのである。
思ったより大きな獲物を捕まえることも有れば、折角の獲物を逃がして費用がパーになったり怪我までしたり。然しいずれの場合でも、コレと決めた時にオール神鋼が発揮する底力を知り得た価値は自社自賛で恐縮ながら貴重で思い出に残る。
海外滞在期間は独身時代に駐在した東パキスタン(今のバングラデッシュ)及び結婚後に駐在したアメリカ及び数多の出張を全部足すと通算12年〜13年間になろうか。
クレーム処理も多かったので一年の内、計200日以上は海外ということも10年間位のうち間々有った。家庭は父のいない母子家庭同然であったが、家内は全く文句を言わず好く頑張ってくれたと思う。
拙宅に会社の部下の連中は勿論のことアメリカ人やインド人の友人を連れて来た時でも相手が喜ぶ料理を色々と工夫して出してくれた。
これ等外国人の友人は元はビジネスから生じた関係であるが、今でも交友関係は途絶えていない。殊に或るインド人とはかつて機会有れば互いに家に招き招かれた仲だが、今でも親友であり連絡を取り合う。ビジネス時代でも彼とは契約書が有ろうと無かろうと互いに信義誠実を貫けた。
瘴癘注の地や治安の悪い国に何回も何回も繰り返し行ったが、これと言った病気や怪我も無く今日現在何とか元気にやっていることは有り難い事だと感謝している。