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No16

北京紫竹院公園
(道子パソコン画)
北京の西、海淀区に、竹と豊かな水をたたえた
紫竹院公園があります。
休日によく遊びに行きました。
スナップ写真 「北京の紫竹院公園」 へどうぞ

その7
活躍する教え子たち
外交学院の学生は優秀で、上昇志向がとても強い学生ばかりでした。
中国では子供が生まれたら親は「男なら龍に、女なら鳳凰に」と願うと聞きます。教え子たちは卒業後、親や親戚や故郷の期待に応えるため、懸命に努力してエリートコースを切り開いていきました。
もともと外交学院は外交部の直轄の大学なので、学生も将来は外交官や通訳や外国関係の仕事に就くことをねらって入学するようです。
しかし、誰もが外交官になれるわけではありません。
私たちが赴任した年の四年生は不運でした。
そのころ日中関係はギクシャクしていたためか、フランス語科、英語科の学生の外務省職員の採用はありましたが、日本語科学生の採用は一人もありませんでした。
その年の四年生に飛びぬけて優秀なT君という学生がいたのでしたが、外交官の道にはいけませんでした。
最初のクラスの仲良し男子3人組
北京での知人の結婚式で4年ぶりに再会しました。
次の年から年に一人、二人と日本語科の学生にも外交官への道が開けました。
現在、東京の中国大使館には院生だった学生を含めて、三人の教え子が外交官として仕事をしています。
彼らが日本に赴任した早々は私たちの家に「先生!先生!」と何度も電話をくれました。
中国大使館の音楽会や京劇などに何度か招待してくれ、彼らの独身寮まで行って食事をご馳走になったこともあります。
せまいマンションの我が家にも二度ほど遊びにきてくれました。
余談ですが、彼らが我が家に初めて来た時、その中の院生だった一人が「中国名所風景写真集」と共に中国編纂の「南京大虐殺の記録」と「日本軍731部隊毒ガスの記録」の分厚い写真入りの本を
「先生これお土産です」と差し出した時にはちょっとショックでした。
初めて日本人の家を訪問する時の土産としては、気遣いがたりないのではないかと唖然としました。
彼らは優秀ではあるけれど、若さゆえか、外交官としてはまだまだ未熟だと思ったことでした。
最近彼らとはすっかりご音信不通です。今は日本にすっかり慣れ、少し偉くなって外交官として仕事に打ち込んでいることでしょう。それはそれで嬉しいことです。彼らの前途が幸せであることを祈っているところです。
そういえば、あの頃「将来は外交官婦人になりたい」と公言していた女の子がいました。
最近聞いた情報では、本当に彼女は外交官の奥さんになってパリに行ってしまったそうです。夫は同じ外交学院のフランス語科の学生だった人とか。
彼女の一念というか、野心というか、やっぱりすごいと思います。
その他の教え子は国際放送局、新華社新聞社、中国の日本大使館職員、共産党の幹部職員、翻訳者、通訳、日本企業勤務(キャノン、NTTなど)、弁護士、大学教師、中高校教師、地方の省の外交部の役人、国際空港の税関員、日本の大学で博士号取得挑戦中のもの、カナダに渡ったものなど、進路は様々です。
やっぱり外交学院の学生はエリート集団でした。
今思うと、よくも私は臆面も無く,外交学院で日本語を教えたものです。
怖いもの知らずとはこのこと。今思うと赤面ものです。
逆に言えば、彼ら学生が優秀だったからこそ、私の授業でもちゃんと勉強してくれたのでしょう。
北京動物園内に新しくできたモダンな水族館
ジャングルのような熱帯植物林の中に
魚の水槽が幾つも並びあり、迷路のような夢の世界です。
10頭ものイルカのショーも見もの。
但し入場料は80元、ちょっと高い料金です。
学生李くんと。
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